「いじめ」は子供社会の「役割分担」
「いじめ」は子供社会における「役割分担」であり、被害者は「いじめ」というエンターテインメントという形で存在が輝く(要旨)。
この記事は「いじめ自殺予告手紙を書いた子へ」に寄せられたmieさん(mieさんのブログ:「オレ的日々雑感」)のコメントに対する返信です。「>>」の部分はmieさんのコメント引用です。
>> はじめまして。TB伝ってやって参りました。
「いじめ自殺」リスクマップ、及び「自殺(に至るいじめ)」と「(軽度の)いじめ」を区別するとのご意見拝見させていただきました。
貴重なご指摘ありがとうございました。
>> 率直な感想ですが、このようなマップ(マトリクスというのでしょうか?)は現場の教師用として想定されているのでしょうか?
現時点では、「いじめ自殺」リスクマップは「研究者向け」「政治家向け」といった位置づけです(※リスクマップについては『「いじめ」と「自殺」は切り分けるべきだ』、『「いじめ自殺」対応手順の提案』を参照)。大きな流れを変えるための第一歩です。もちろん、現場の教師がすぐ使えるツールであればいいのですが、残念ながらすぐには無理です。
理想はリスクマップの右上、現状は左下、みんなで右上を目指しましょう、という提案です。主要な問題要因で2軸のマッピングを行い、解決までの道筋を示す地図を作るという、問題解決の定番手法です。
これに対して、役人・政治家やマスコミの論調はあきらかに間違っています。意図しているのか、意図していないのか分かりませんが、混迷を深めるよう誘導している気がします。
問題解決のために、「人権」を持ち出す必要は全くありません。それは言葉遊びです。
問題解決のために、「いじめ体験談自慢」は全く必要ありません。それはガス抜きと報復です。
問題解決のために、いじめられっ子(被害者)、いじめっ子(加害者)、大人たち(第三者)の誰かを責め立てる必要は全くありません。それは、非生産的で後ろ向きです(犯罪加害者としての処罰は別ですが)。
私が忙しい本業の合間を縫ってこのテーマの記事を書き続ける動機は、真に問題解決に貢献する生産的な議論を導きたいという点に尽きます。
>> いじめは、被害者の心理的側面にせよ、いじめの内容の深刻度にせよ(はたまた加害者のいじめ認識度にせよ)、第三者による客観的把握が難しいように思えます。そもそも巧緻的ないじめは表面化しないようになっているでしょうから。
いじめ発見には、第三者による積極的な探索が必要です。子供のころいじめを受けていた私の心理は「大人たち、私をいじめる子供を徹底的に調べて!」という極めて受動的なものでした。いじめられるときも、「あなたたちのいじめを受け入れるから、ちょっと手加減してね」と、いじめを受け入れる状態になっています。
もしくは、教室という狭い子供社会における「役割分担」とも言えるでしょう。スポーツのできる子、勉強のできる子、かわいい子、背の高い子、珍しいおもちゃを持っている子、それぞれがその子供社会で他の子供に何かを提供します。いじめられっこは「いじめ」というエンターテインメントを提供する役を負っているのです。それは、いじめという形で存在が輝くのです。
だから、自分から大人たちに告げ口しようとは決して思わない。告げ口すると、自分の役割が失われてしまうと恐れる「追い詰められたものの心理」になっているからです。だから、いじめられる子供の心理としては、「私の責任ではなく、大人の責任で積極的にいじめを調査して!」「陰湿ないじめを、大人が気づいて助けに来て!」といつも思っていました。
普通に育って大人になった「親」や「先生」が(ましてや「政治家」「役人」が)この辺の繊細な心理を理解すると期待するのは無理があるでしょう(カウンセリングや心理分析の能力という意味で)。特に学校の先生は忙しすぎる為、物理的にも困難でしょう。
そして私も、私の体験に基づくある狭い範囲のことしか分かりません。すべてのいじめ被害者の心が分かる訳ではありません。しかし、個々の被害者の心理分析を完璧にしなくても、問題解決に寄与することはできると考えています。政治家、役人、研究者、先生、親、全ての大人について同じことが言えるでしょう。
>> これからの考察に期待したい…というのも無責任っぽい言い方で悪いですが、「いじめの深刻さ」の具体的な内容とか客観的な基準(それが第三者から見ての基準なのか、被害に遭っている当人から見ての基準なのかも含めて)を提示いただければと思います。
「いじめの深刻さ」はリスクマップ上でも明らかなように、その子の心理的な強さ、いじめの過酷さという状況により変わるのですが、診断目安としては、「いじめを第三者に告白できるか?」が境界条件です。これができる場合、深刻さは小さく、できない場合、深刻さは大きいと思います。自らを客観的に分析する余裕があるかどうか、専門家がヒアリングや心理テストを実施すれば分かるでしょう。ただし、繊細な問題であり、人の命がかかわってくるので慎重を要するでしょう。
いかがでしょうか。これでmieさんの期待する考察になっていますでしょうか?
>> 同様に、被害者の心理的側面に関しましても、例えば福岡では、友人や恋人に「全く心配ないよ」と笑って告げていた子が自殺したりしていますので、その把握は一層困難だろうと思われます。まさに早期発見&対処の方策に関係機関は全力で取組んでもらいたいと思います。
>> また自殺に関してですが、どなたかがコメントされていましたように、私なども「なんでそんなちっぽけなことくらいで!?」と思うようなことで死を選ぶ子がいますよね。ベースには死生観の問題があるのかもしれませんが、それにしてもいじめの深刻度とは別に、「衝動的」な要素があるような気がしてなりません。だから「流行り」なのかもしれません。
残念ながら、自殺というのは伝染するようです。ネット自殺(車に練炭)が一時はやりましたが、今回も同様に「流行」だったようです。また、別の意味(人の噂も75日)でも、今回の騒動は「流行」で終わる(解決への動きがすぐ止まる)でしょう。
>> さてさて、他でもいくつかの自殺志望者へのメッセージを読んでましたが、中村さんのメッセージには感動しました。私も含めてありきたりのことしか言えてないと思っていましたが、このメッセージは全体を通してとても説得力があると思いました。朝日新聞に著名人によるメッセージが載っていましたが、とにかく逃げろとか、君の居場所は必ずある…例えば離れ小島とかみたいなことが書かれていて、ガクッときました。それよりこの文章を載せてもらいたいと思いました。
お褒めの言葉、大変光栄です。この記事を書く動機になりました。
>> お忙しいでしょうが、これからも頑張ってください。
地道にやっていきます。応援してください。
※この記事のタイトルと冒頭の要旨は本当の要旨からやや外したセンセーショナルなものですが、多くの人に訴求するためあえてやっています。
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