ニートを社会的に助長するべきではない
「ニート」は「ニート問題」であり、「希望のニート」といった言葉遊びにより、ニートを社会的に助長するべきではない。ニートは外国人労働者、もしくは海外の低賃金労働者と、熾烈な国際競争に勝ち残るため命がけで戦っている日本人労働者によって保護されたいびつな特権階級になっている。
この数日で上記のように思考が整理できた。これは私の記事にトラックバックおよびコメントをいただいた皆さんに負うところが大きい。心より感謝いたします。
※この記事は下記の関連記事の続きです:
・希望のない本「希望のニート」
・そもそもニートやフリーターは「問題」なんですか
・誤解を与える表現「希望のニート」
※以下、この記事はdemianさんの記事Arbeit macht frei.に対するコメントです。本来demianさんにコメントすべきですが、長文となったため新規記事にしました。
まずは中村さん、私が半ば勢いで書いてしまったような文章にトラックバックを頂き有り難うございます。それからプロフィールの写真が渋過ぎます。思わずファンになりそうです。話がそれてしまいました。すみません。
demianさんを公認の「ファンクラブ」会長(会員No.1)に任命します。会員10万人突破記念にはdemianさんにハワイ旅行をプレゼントしましょう。ただし、本物はそんなに渋くないです、、、
それから最初にお詫びですが、自分でもあきれるほど話が長くなってしまいました。ニート、フリーター、ひきこもり、働くこと、などの問題は奥が深いのでつい長くなります。しかし、もし、ニートのことを真剣に問題とお考えでいらして、少しは時間を割くお気持ちがありましたら、少しずつでも読んで頂けますと幸いです。また、リンク先の記事や、前回の記事で紹介したような書籍をお読みになることもお勧め致します。
いえ、いいんですよ。長くなっても、読むほうの自由で適当に読み飛ばしますし。今回は日曜日で比較的時間を取れましたので、長文に対し、長文のコメントをお返しできました。平日だったらできなかったかもしれません。
しかし、
中村さんはニートの問題に関して真剣に憂いておられるのだと思いますので、まずはこの問題を考える際にお役に立ちそうな情報をご紹介してみます。きちんとお読み頂けますと幸いです。と、いいますかお手数だとは思いますがお読み頂かないと話が進められないのでした。お時間のある時にごゆっくりどうぞ。
についてですが、demianさんが示す文献を私(およびあとからこの記事を読む他の方)が全て読まないと議論にならない(学術的ですね)という表現は一考を要します。
リンクにより文献を示す場合、
1.リンクにより出典を明示し、トレース可能な状態に置くことにより正当性・正確性・公平性を保証
2.著作権を考慮すると引用しずらいのでリンク
3.読むと参考になる情報をリンク(あくまで「参考資料」なので読まなくても議論できる)
といった位置づけにし、本文中にはご自分の論点に合致する箇所を引用するか概要を示していただいた方がよいと思います。
いえ、実は私もよくやるんです。引用したり要約したり、面倒くさいですから、リンクを並べて「読め」とするのが楽チンです。しかし、貴重な時間を割いて議論を深めるためには、お互いの知見を少しづつ共有する方がお互い時間を節約できて効率的です。もちろん、状況にもよるでしょうが。
必要であれば私からもサーベランスすべき山のような参考文献を提示します、が、ニートに関する学術論文を書いているのではありませんから、そこまでやっても報われないでしょう。自分の読んだ大量の文献の追体験を求めるという手法は、相手を議論に打ち負かすためのテクニックとしては効果的かもしれませんが、今回、そういった議論をお望みではないと思います。
とはいえ、ご指摘の文献は一通り拝見しました。網羅的なコメントはできませんが、以下、概要のみ書いておきます:
荻野勝彦さんについては大変勉強になりました。戦後の就職に関する解説「キャリア辞典」も一通り読みましたが、興味深いものでした。後の議論で引用させていただいております。
「ニートを生み出す社会構造は/社会学者立岩真也さんに聞く」は私もおおむね同意見です。フリーター・ニート・引きこもり、すべて「精神論」ではどうにもならないと思います。どうにもならない人がそういう状態になる、という方が正確かもしれません。これと正反対で、ちょっと過激な「ニート(NEET)対応策」があり、次のように提案しています:
本人と家族に事前通告の上、強制的に2〜3年間の自衛隊での生活と訓練(医食住無料、給与無し)をさせ、そこで精神と技能(特殊車両免許・機械整備・看護師免許等)を鍛えて、社会に送り出す、又は自衛隊に正規隊員として就職する、等の選択をさせるべきであります。
「バトルロワイヤル」を彷彿とさせます。実現すればニートは減るだろう(排除されるという意味で)けれど、現在の社会状況を考えると実施できるとは考えにくいですね。
なぜか、朝会社に行ったお父さんがほぼ定時に帰って来るのに通信分野などで世界をリードする国もあったりします。そこから何か学ぶことは出来ないのでしょうかね。
これ、100%マネジメントの問題です。会社の経営が素晴らしく、従業員も優秀、という恵まれた条件であり、実際に達成した企業の事例は非常に少ないと思います(だからニュースなどで紹介されると印象に残るのでしょうけれど)。でもきっと、その会社の別の部署の従業員もしくは取引先の別の会社に定時退社のしわ寄せが行っているだけだと思います。マネジメントの問題はあくまでマネジメントの問題であり、ニート問題と全く関連しないとはいいませんが、切り離して議論した方がよいように感じます。
これから日本は本格的な少子高齢化社会へ向かいます。私などはどんどん移民を受け入れて、税金を払ってくれるのならちゃんと社会保険などにも入ってもらって、参政権なんかも付与することが日本の活性化に重要だと考えます。
ところが移民はおろか難民の受け入れすらろくに行わず、不法滞在にならざるを得なかった人たち(多くは家族の幸せを願い真面目に働く労働者です)の受け入れにもまともに取り組まずにいるのが日本の現状です。ネットのブログなどでも外国人の受け入れなんてとんでもないと、さらには在日外国人(主に韓国系の人たち)に対してどうも追い出したそうな意見を目にします。この有様ではやはり少子高齢化は避けようが無く、労働人口の減少から国としての経済力の弱体化は免れません。
移民受け入れ、外国人参政権など、ローマ帝国の衰亡を連想させ、くらくらしてきます。「以前から解決されていない問題」の項で発言されている「ベーシック・インカム」は古代ローマでいう「穀物の無料配給」でしょうか。今の日本と通じるところが多いように感じます。結局、日本もこういった方向に突き進まざるを得ないのだとしたら、あまりに展望が見えないように感じます。
※古代ローマに関する資料:
・レジャー施設は、古代ローマのコロシアムと同じ
・ローマの歴史
古代ローマの「奴隷」は、現代では外国人労働者、もしくは海外の低賃金労働者に相当するでしょう。「市民権」のあるニート・フリーター・ひきこもりが許される若者は、実は特権階級に属しています。どんな事態になっても最後は日本政府がその基本的人権を保護する社会保障システムが(少なくとも法律上は)存在する「日本国民」です。
不法入国・不法滞在・不法就労の外国人に「ニートは希望があるから、いっしょにどうだ?」というのはあり得ないでしょう。また、「ニート・フリーター・ひきこもりになりたいので、日本国籍を下さい」という不法入国・不法滞在・不法就労の外国人がいても、「ニートには希望があるのだから、じゃんじゃか受け入れよう」とはならないでしょう。移民受け入れ・外国人参政権によって問題を先送りできたとしても、本質は変わらないような気がします。
今、この瞬間にも、不法入国・不法滞在・不法就労の外国人、そして海外の低賃金労働者が、ニートの基本的人権と快適な生活を支えるために黙々と働いているのでしょう。
かくなる上は、貧しくてもそれなりにみんなが楽しく暮らせる国を目指すことが重要になってくると思います。「勝ち組」のために多くの人が奴隷労働なんてぞっとします。
「貧しくてもそれなりにみんなが楽しく暮らせる国」………それは素晴らしい目標です。北欧の一部の国々は比較的成功したケースだと思いますが、「みんな」ということはないはずです。どこかに実現した国を具体的にご存知でしたらお教え下さい。
どこの国にも「貧しくてもそれなりに楽しく暮らせる」人々が存在するのは確かですが、国家全体でそのような状態を達成しているユートピア国家が存在しているかどうか、私は寡聞にも知りません。目標としては結構なのですが、「スタートレック」の時代になったとしてもあり得ないのではないでしょうか。それから「ジニ係数」ですが、「適切な範囲」というのを論じるのは大変難しいように思います。じわじわ上昇しているからいけない、ゼロを目指すべきだ、ということであれば、それは社会主義です。「貧しくてもそれなりにみんなが楽しく暮らせる国」という表現は、ひょっとすると、慎重に排除すべき「論理のすり替え」ではないでしょうか。揚げ足とりだったらごめんなさい。
以前から解決されていない問題
で、改めてなんのための競争?
すみません、この2項目、論点が長すぎるのでつっこみにくいのですが、社会保障云々は「社会主義か、資本主義か」という議論であり、ニート問題と論点が外れるようですのでコメントが困難です。日本企業が熾烈な国際競争を戦っている点、私にとって議論の余地はありません。これはおそらく、
A.最前線もしくは最前線が見える場所にいて、競争に勝つことを迫られているもしくは競争に勝つことの意味を理解している。
B.「国際競争って何?」というボケが許される安全な場所(銃後)にいる。
という立場の違いにより主張が変わるのだと思います。
かつて私が精神的に参っていたころ、最前線にいながら「なんのための競争?」と感じるような時期もありました。しかし、そう感じる人がいたとしても、競争を回避する風潮を助長する理由になるとは思えません。競争に勝つため、誰かが最前線に立たなければなりません。あるいは、外国人の労働者を「傭兵」として最前線に送り込むという選択肢もあります(インド人プログラマーなど)。しかし、やはり問題の先送りに過ぎないのではないかと思います(古代ローマの資料をご参照下さい)。
上記、A.B.の立場が違えばこの議論は平行線をたどります。ニートを「希望」とみるか「絶望」と見るかは、どんな立場から議論するかで決まるのかもしれません。
「生き残りをかけた競争」の「生き残り」とは、もちろん比喩ですが、残念ながら比喩でない場合もあります。詳しくお話できませんが、私が知っている限りでは、大手メーカーの最前線で戦っているエンジニアはニュースなどで公になるよりもずっと多い人数が心臓麻痺で死んだり精神的におかしくなって自殺したりしています。経営者の感覚は本当に「戦争」です。
「競争を止めれば?」「みんなスローライフで」と言うのはマリーアントワネットの「パンがなければケーキを食べればいいのに」と同様にナンセンスです。ニートが何百万・何千万になったとしても、誰かが命がけで戦わなければならないのです。この「命がけ」も、比喩であればいいのですが、残念ながら、完全な比喩に出来ないと思います。
あなたが見つめているパソコンの画面、クリックしたマウス、便利な電子・電気製品、自動車、その他あらゆるサービスの提供を受けられるのは、もしかしたらどこかの誰かが命がけの仕事で完成させた成果を享受しているものかもしれません。最新の医療を提供するために、医療従事者は命がけで働いています。それらの労働はニートがスローライフを楽しむために提供される場合もあり得ます。それはそれでいいとしても、社会全体としてニートを助長することだけは、どうしても納得できません。
例えば、この言葉をホームセンターの練炭売り場の前で自殺のために練炭を買おうとしている人に向かって発したとします。一体それがどれほどの説得力を持つのでしょう。その人は他でもない、こうした言葉によって自殺を考えるところまで追いつめられたのだとしたら。一度そのような具体的状況を想像してみることをお勧めします。
実は、私もこの例を全く反対の意味で引き合いに出したいと思っていました。
目の前の自殺者を救済するためには、自殺を思いとどまらせるカウンセリングなり社会復帰の支援なりが必要です。自殺志願者に「競争」の話をすべきだとは思いません。そしてそれらの支援も、上記と同様、命がけで働く誰かのサービスを享受する例として許容できます。しかし、繰り返しますが、だからといって社会全体としてニートを助長することを支持する事例とはなりえません。「誰かが命がけで戦わなければならない」という事実は動かせません。
demianさんは生物学がご専門とのことですので、生体には侵入者を撃退するシステムがあるのをご存知だと思います。「なんのための競争?」という発言は、免疫細胞が命がけでウィルスや細菌と戦って生体を守ってくれているのに、「何のために戦ってるの?」と問いかけるようなものだと思います。あるいはもしかしたら、発生の過程でアポトーシスにより消え去るべき組織に対し、「全体のために自分を犠牲にすることはないんだよ。パラサイトとして楽しく生きよう」と語りかけるようなものかもしれません。
むしろ社会を活性化することになるのは「多様な生」をとことん肯定することではないのかと私は薄々感じています。その中で強制によって生じるのではない形で発生してくる「自由な個々によるきずなのクラスター」のほうが力強く生き生きとしたものなのではないかと思います。
多様性云々は安易に引用されることが多く、非常に危うい論理だと私は常々感じています。
またまた生体の例で恐縮ですが、たとえば人間の体を構成する各器官、例えば免疫細胞が「あー、ばかばかしい。なんで俺は必至に侵入者と戦ってるんだ。やーめた」といった行動に出た場合、その人間は死んでしまうでしょう。喩えはあまりうまくないかもしれませんが、国家の場合も同じだと思います。国家としてのまとまりは一定限度で必要です。一定限度というとあいまいですが、ちょっと前に「カオスの淵」という表現で流行したことがあります。
まとまりすぎて全体主義に走ってもまずい、発散しすぎて国家として機能しなくなってもまずい、そのとき置かれた環境に応じて、柔軟にまとまり具合を変更できなければならない、ということになります。細い細い「淵」の上をバランスをとりながら進んでいく様子にたとえることができます。「多様化するか」「まとまるか」というのは単純な二択ではないと思います。今の日本は、現状の厳しい国際競争を勝ち抜くためには、あまりにも「まとまり」に欠けている、というのが私の見解です。
http://d.hatena.ne.jp/blackant/20050616(blackantさん)
その前に、汗水たらしてがつがつ働かなくても済む時代を作るのが昔の人の夢だったんじゃないですか? ニートはその具現化なのと違います? だいたい、多くの企業が「人件費削減のためにコンピューターを導入する」とか言って人減らしを推し進めたり、希望退職者を募ったりしているんだから、そんな世の中を見て働く気が失せる若者も多いんじゃないかと思う。
昔の人というのがどの時代を指すのかはっきりしませんが、「汗水たらしてがつがつ働かなくても済む時代を作る」という夢を誰が持っていたのでしょうか?この前提がはっきりしないため、これに続く文に対して反論することは困難です。
いらん道路や新幹線やミサイル作る前にやることがいくらでもあるだろう、と私も思います。
ニート問題と関連があるテーマかとは思いますし、確かに「やることはいくらでもある」のですが、少なくともそれが「ニートを社会的に助長する」こととは関係ないし、支持することにもならない、と思います。
改めて私の論点を繰り返します。誤解を与える表現「希望のニート」でも述べていますが、「希望のニート」が「ニートの若者を支援し、希望を持たせる」、という意味であればその主旨には賛成であるし、議論の価値もあると思います。しかし、「希望のニート」という言葉が独り歩きすると、「ニートには希望がある。みんなでニートを増やせ」と開き直ってしまい、社会全体が変な方向を目指すのではないかと危惧されてなりません。「フリーター」という言葉が生まれた状況に似ているようです。これに関しては、荻野勝彦さんの解説「フリーター」(1)に述べられていたので引用します:
とはいえ、バブル期に「フリーター」を「カッコいいもの」としてデザインしてしまったことの罪は軽くはないだろう。それはひょっとしたら、当時のわが国における「キャリア」への意識の低さ、未熟さを示しているのかもしれない。
「フリーター」をそのまま「ニート」にも当てはめてみると、「希望のニート」という位置づけがもてはやされてしまい、ニートの蔓延を助長することにつながるのではないか危惧されます。「ニート」はあくまでも「ニート問題」です。「希望のニート」という表現は「1984年」に出てくるスローガン(「戦争は平和だ」「自由は屈従である」「無知は力である」)と同類です。私は「ニート」ではなく「ニート問題」という使い方で広まって欲しいと思っています。
私は、インターネットを使った言葉遊びを望んで長々議論しているのではありません。何らかの直接的な答えを欲しています。すぐに答えが出ないとしても、どうすれば少しでも希望を見出せるのか、展望が開けるのか、と考えています。しかし、まだ私にはその答えが分かりません。
「自分の子供がこの先、日本で安心して暮らしていけるか」とか、「どうすればこの学生は社会に適応できるようになるだろうか」といった立場に立つと、切実です。「希望のニート」というのは言葉遊びであり、私にとって役に立つ答えではありません。ニートというものが望ましくない状態だ、という点について、感覚が麻痺し、その存在を肯定的に捉える雰囲気、肯定的に論じられる風潮をなんとかしたい、と強く感じています。だからこそ、ここまで長文のコメントになってしまったのだと思います。
※どーでもいい感想ですが、はてなのブログはキーワードリンクが多くて読みにくいですね。長文のコメントを作成するため、一度テキストエディタにコピーした上で、本文を読んだり編集したりしました。
※Google検索「希望のニート」で「希望のない本「希望のニート」」が2位にランクされており(05.06.19現在)、しかるべき社会的責任を感じます。そこで二神氏のNPO活動について補足をしておきますが、私は「希望のニート」に対して否定的な立場で書評を書いているのであり、ニート・ひきこもりの若者を社会復帰させる活動とその成果は高く評価すべきだと感じております。私の記事をお読みになる方はこの点を混同されないようお願いいたします。
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Comments
>中村さん
知り合いしかこないような私の小さなblogにTBして頂いてありがとうございました。
中村さんの危惧する「『希望のニート』の言葉遊び」についてコメントさせてください。以下の中村さんの発言に注目しました。
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改めて私の論点を繰り返します。誤解を与える表現「希望のニート」でも述べていますが、「希望のニート」が「ニートの若者を支援し、希望を持たせる」、という意味であればその主旨には賛成であるし、議論の価値もあると思います。しかし、「希望のニート」という言葉が独り歩きすると、「ニートには希望がある。みんなでニートを増やせ」と開き直ってしまい、社会全体が変な方向を目指すのではないかと危惧されてなりません。
============
ここで中村さんが述べている「希望」の言葉の意味が気になりました。
前者の「希望」は「きっと働けるようになるよ」と,後者の「希望」は「働かなくても生きていけるよ」という意味合いに聞こえます。
「希望」という同じ言葉を使っていても,中村さん自身がことなる意味で使っているように私には感じました。そこが議論のポイントだと思います。
私自身は,「その言葉を作った人は,その言葉の広がり方までは,完全には責任は取れない。しかし,最低限のそのときの自分の考えを分かるように残しておくべきだ。後から検証が可能なように」という考えの持ち主です。
最終的にこの「希望のニート」というタイトルに決定したのが,どれだけ二神氏の意見を反映させたものであるのかはわかりませんが,ある程度反映させたものであるならば,私は以下のような狙いを二神氏はもっていたのではないかと考えております。
1)執筆当時は「ニート=働く意欲の無い若者」が主流であった。
2)そこで,二神氏はなんとかこのイメージを払拭したいと考えた。
3)二神氏の構想する「雑居福祉村」で定年組とニートの若者が交流し,
「効率至上主義一本やりの社会を,適度にいい加減で面白みのある方向へ揉み解していく触媒になってもらう」という希望がニートにはある。
※ここでいう希望にはもちろん二神氏が「適度でいい加減で面白みのある方向」の社会の方が望ましいと思っているという考えも含めまれている。
4)上記の理由で「希望のニート」と命名した。
中村さん自身は「希望のニート」は誤解を招くのでよくないという考えを示していますが,二神氏がやりたかったことも同様で,「ニート働く意欲の無い若者」は誤解なのでよくないというところからスタートしているのだと思います。
・「ニート=働く意欲の無い若者」とは限らないということ
・二神氏の構想する「雑居福祉村」のニートと定年組が触媒になることの「希望」がある。
これらを含み合わせれば「希望のニート」とタイトルをつけること自体は間違いではないと思います。ただ本当に世の中の潮流が「ニートには希望がある。みんなでニートを増やせ」となったのであれば,そのときには二神氏に反論して欲しいですけどね。
私自身が言いたかったことは何かというと,「言葉がどう広がるかは,言葉を作った人でさえ分からないことがある」ことには注意が必要で,二神氏自身がなぜ「希望のニート」と命名したのか分かるように残していることは特筆に価するのではないですかということです。
それでは失礼いたします。
PS:私も中村様の写真を見てファンになった一員なのですが会員番号をいただけますでしょうか?
Posted by: タザワ | Jun 20, 2005 05:10 AM
タザワさん:
早朝5時より長文のコメント、ご丁寧にありがとうございました。こんな早くに、一体なにをなさっていたのでしょうか?!
「希望」の解釈、おおよそ私の見解と一致するようです。
「希望のニート」というタイトル、出版社の営業担当があーでもない、こーでもない、とひねり出したのではないかと思います。タイトル次第で売り上げがかなり違うらしく、必死になって考えるそうです。したがって、二神氏本人はそれほど社会的責任云々を考慮されていないのではないかと思います。
ファンクラブの申込みありがとうございました。タザワさんは会員No.2に登録させていただきました!
ファンクラブのホームページ、バナーも作っちゃいました。右側ナビゲーション「リンク」欄の「中村友一/公式ファンクラブ 」からご覧下さい。
Posted by: 技術コンサルタント:中村 友一 | Jun 20, 2005 07:58 AM