希望のない本「希望のニート」
二神能基さんの「希望のニート」読了。タイトルとは反対の、全く希望のない本だった。最近、授業などで、ニート予備軍と思われる「やる気のない若者」と接することが多く、なんとかならないものか、と常々考えていた。だからこそ、「希望のニート」というタイトルに「希望」を求めて購入した。しかし希望などなかった。少なくとも、私の立場で必要とされる答えはなかった。
「希望のニート」の主旨は、「ニートは働く意欲のない若者」と捉える風潮に一石を投じ、彼らを日本社会の大きな構造変化の過程で生み出された純真な若者と位置づけ、その構造変化を前提に、日本人がもっとスローペースで働ける緩やかな社会を目指そうといった論理だ。二神氏がNPO事業を展開するイタリアが先進国であり、イタリアをモデルにしている。この発想、SMAPの世界に一つだけの花や森永卓郎さんの年収300万と同じだ。
二神氏が持っているニートに対する情報量は多く、分析も正確である。二神氏の立場から最善と思われる社会的な提案もなされており、大変有益だと思う。また、二神氏の主催するNPO法人「ニュースタート」はニートや引きこもりの社会復帰を行っているそうで、活動は立派で賞賛に値すると思う。それ自体を否定するつもりはもちろんない。
しかし、二神氏の論調は開き直り、あきらめが前提となっており、哲学的・宗教的な解決であり、「その場しのぎ」であり、根本的な問題解決にはならない。日本という国家全体で考えた場合、厳しい国際競争にさらされている現状を見ず、「ニートでもなんとかなるさ」という状態で、本当になんとかなるのだろうか?現在の日本では、引きこもり、ニート、フリーターといった若者(さらには中年)がすでに特殊ではなく、社会の中で大きな層を形成している。そして、この状況は短期間で解消される見込みがないどころか、これから拡大し、固定化する。日本は希望のない時代に突入してしまったのだろうか。
※05.06.14(火)追記:この記事については、逍遥游さんのブログ逍遥的書評にトラックバック・コメントし、関連の議論を行っています。
※05.06.19(日)追記:その後に追加された下記の関連記事もご参照下さい:
・そもそもニートやフリーターは「問題」なんですか
・誤解を与える表現「希望のニート」
※05.06.20(月)追記:下記の関連記事もご参照下さい:
・ニートを社会的に助長するべきではない
※05.07.16(土)追記:下記の関連記事もご参照下さい:
・これがうわさのGoogle八分?
07.08.19(日)10:44追記:
参考記事:朝青龍騒動の本質
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Comments
希望は他人から与えられる物ではない
自分の力でつかみ取るものだ。
人間は一人になると物凄く弱い!
個人主義を捨て民衆レベルで集団を形成する事こそが日本が生き残る唯一の方法である。
外国人労働者は集団で行動し
一つの家を複数人数で借りて生活費を極限まで抑えている。
二十万円を超える高級住宅でも
数が揃えば維持管理は苦にならない。
かつての日本は
ひいおじいちゃん、から赤ちゃんに至るまで
一つの家族を、大人数で構成する事で苦しい生活にも耐えてこられた。
実力もないのに数の論理を捨てた日本人が苦しむのは当たり前。
日本人は贅沢を言いすぎだ。
Posted by: 人に頼るな | Dec 10, 2010 04:23 AM