誤解を与える表現「希望のニート」
※この記事は、私の希望のない本「希望のニート」に対するdemianさんのトラックバック記事に対応するトラックバック記事として作成したものです。
私は、学校教育・会社経営の問題として、すなわち、天下国家・雇用問題として、教える側・経営する側の問題としてニートを捉えている。そして、自分自身の思考を整理し、答えを求める目的で議論をしている。ニートを減らす(「ニートを排除する」ではない)にはどうすればよいか、と。
一方、demian氏は下記のように論じている:
いったい何のためにやりがいのない低賃金の労働をさせられ、安く使い捨てられ、サーヴィス残業をさせられるのか。睡眠時間を減らし生活習慣病やうつ病をわずらい、自殺まで考えながら、なぜ「競争」をせねばならないのか。それがそれほどまでに実りのあることなのか。
生き残って競争を勝ち抜けば間違いなく「実り」はある。脱落した人々に対して、それなりの社会保障が施され、再起のチャンスも与えら得る。しかし、みんなが脱落すれば日本という国家が国際社会における競争に敗れ、社会保障も、再起のチャンスも、少なくなるだろう。
高度成長期の日本には、「戦後の焼け野原で明日の食べもにも困る。少しでも早く国際競争力を高め、経済的に豊かになろう」、といった大きな国家的なビジョンを共有できる仕組みがあった。しかし、現在の日本には、そういった大きなビジョンを共有できる仕組みが欠けている。
本質的な問題は、日本が国としてのまとまりを失いつつある、という点なのではないだろうか。若者がニートに希望を見出さなければならないような国家に、希望などない。
「ニートの若者を支援し、希望を持たせる」、という意味であれば議論の価値があると思う。
「希望のニート」というのは、単に誤解を与えて本の売り上げを伸ばすPR表現なのではないだろうか。
もう一度、強調したい。ニートに希望なんかない。
※06.01.28 追記(ニート関連記事のリスト):
・希望のない本「希望のニート」
・そもそもニートやフリーターは「問題」なんですか
・誤解を与える表現「希望のニート」
・ニートを社会的に助長するべきではない
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